MimoDeLuxeの日記

あんなことや、こんなこと

ナマケモノの妬み

嵐が引退を発表して、たいへんな騒ぎになっている。メンバーもみんないい歳になって、それぞれの道に進んでさらに活躍することをみんな期待している。そのなかで、二宮くんは、まちがいなく、俳優の道をすすむと思っている人は多いと思う。とてもいい役者さん。

アイドルなのに、いい役者、イケメンなのに、いい役者と、顔がよくても演技のまずい俳優が多いなか、貴重な存在として認識されている。これはすごくいいことだけれども、この認識には、非常に危険な一面が潜んでいる。

イケメン⇒下手 と それほどイケメンでない⇒上手

とはまったく関係のない話であるのに、イケメンでない俳優は演技がいいに違いないという先入観をもってる人が多いのではないかと思う。

そもそも俳優の演技の良しあしを語ること自体、かっこの悪い話だけれども、それほど演技も見た目も両方よくないのに、なんでこんなに売れてるのだろうかという俳優がいる。だいたいそういう人への評価は「すごく自然」という点に集中している。道を歩けば誰もが振り返るようなイケメンでもない人が普通にふるまっていれば、「すごく自然」なのは当たり前の話なのに。自然な演技=うまいという無意識過剰を評価する人たちが大嫌いだ。


桂きん枝 2019年「小文枝」襲名披露会見 桂文枝、桂文珍、吉野伊佐男、大崎洋

噺家でも同じような現象が起きることがある。

桂きん枝さんが小文枝を襲名する記者会見に桂文枝さんが出ていた。文枝さんは、三枝時代にはテレビで見ない日がないくらいに、落語以外でも活躍されていた。また、落語でも新作落語を熱心にされていたこともあり、落語家としての世間の評価は不当に低いのではないかと思う。

テレビの人気者、新作落語=落語家としてはダメ

という間違った理解がされている。では、テレビに出てない落語家はみんなうまいかといえばそんなことは絶対にない。露出度と芸のうまさはまったく関係のない話。

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香川登枝緒さんの「私説おおさか芸能史」という本を去年古本屋さんで見つけて読んでいると、つぎのような一文があった。

桂三枝は、テレビ界最大の売れっ子で、レギュラー番組をこなすだけでも精一杯のはずなのに、あえて創作運動を起こし、最低二か月に一本の作品を発表しているのだ。「やりたいとは思うけど忙しいから出来ない」というんは、ナマケモノの言訳にすぎないことを、身をもって証明しただけでも三枝の存在は大きいのである。(香川登枝緒「私説おおさか芸能史」)

 身の引き締まる思いだ。成功する人はやはりそれなりの努力をしている。

文枝さんには、さらに何年か前に浮気騒動もあった。世間からはとてもたたかれたけど、芸人の浮気ですよ。まったく問題ない。と私は思う。

国の財政と家庭の家計を同じ尺度で語ることが愚かであるように、芸人の遊びと一般人の浮気とを同じ視点で語ることの意味のなさ。

桂文枝さんは、テレビでも落語でも女性関係でも一線で活躍される貴重な芸人だ。